私は、いつも世代の違う若い人たちや多方面の異分野の人たちと、色々な場所・方法で社会や生活者の課題やそれを解決するためのアイデアについて、拡散~収束の繰り返しを楽しむように議論しているのですが、たまにそうした議論の場で、デジャブの如く昭和時代の同質的なカルチャー、画一的な価値観を感じることがあります。
リーダーらが、会議の結論的な方向性をなんとなく決めていて、会議の開催は形式的なもので、上席の人が、あらかじめ決めてあったことをあたかも議論したようにみせて落としどころにもっていくというようなことを、みなさんの会社ではしていませんか? あるいは、それ以前に目的やビジョンに思いを馳せ、その実現のために人生を掛けるつもりで働いている人材が、そうした会議に出席できないということや仮に出席できたとしても思い通りの発言がしにくいといったことはないでしょうか?
あるべき本来の会議の姿とは、会社にとって有為な人材が、先見性に優れ、顧客にも会社にも役立つ意見を率直に述べ、経営陣も含めて熱く議論を交わすことができることでしょう。それができている会社なら、誰もが予期していなかった素晴らしいアイデアにたどり着けるかもしれません。そのためには、オープンブックマネジメントを導入していて、利害関係者の誰もがほぼすべての情報に接することができることや、会議への参加者が普段から未来について考え、何をすべきか知ろうとしていたり、そのための実践やリフレクション、学習といったことを主体的にしていたりすることが前提になるでしょう。
これからの時代のリーダーには、これまで以上に構想力や実行力が求められることになるでしょうが、その前に会議におけるファシリテーション能力と品性が必要になるでしょう。その会社が、真に世の中のために役立つ活動や事業をしていくには、多様性と透明性を担保して、様々な方面のいろいろな関係者から課題や建設的な意見・アイデアが、バンバン出てくるようにしていかないといけないからです。
私の出身校の先輩でリクルート社で活躍し、Jリーグチェアマンとなり、規約上の最長任期である4期8年を務めた村井満さんは、新聞のコラムで、以下のように述べていました。「例えば、会議で恐れるのは『全会一致で賛成』や『異議なし』の状況です。理事会や実行委員会では議事進行の収拾がつかないほど議論が沸騰することがあります。反対意見や我々執