現在順調に運営をしている企業であっても、ここまでくる道のりでは様々なことがあっただろう。どのような苦労や失敗を乗り越え、またどこに成功要因を見つけたのか。当業界のリーダーらから、それぞれが学んだことについて披露していただく。

水泳の指導者からトレーナーへ米国に渡米し、経験を積む

株式会社スポーツモチベーション(以下、スポーツモチベーション)で取締役を務める中野ジェームズ修一氏。同氏はトレーナーとして、一般の方からトップアスリートまで幅広い対象に指導してきているが、なかでも記憶に新しいのが、青山学院大学の陸上競技部のフィジカルコーチとして、4連覇という偉業へ導いたことだろう。そんな数々の輝かしい経歴をもつ同氏であるが、トレーナーを目指したきっかけは、意外にも水泳のインストラクター時代の挫折感だったという。

3歳から泳いでいたという中野氏は、選手生活を経て、それまでの経験を活かしたいと水泳のインストラクターとなった。当然ながら水泳初心者も指導することになるが、幼少期から自然と泳げていた同氏は「息継ぎができない」という悩みにうまく対応できない。一方で、研修では自身より泳力が劣る先輩が上手に教えている光景を目の当たりにする。
「その先輩は、成人してから泳ぎを身に付けた方でした。泳力では私のほうが上だけれど、指導技術や生徒からの信頼の厚さは先輩のほうが上。自分はどうがんばっても泳げない人の気持ちに寄り添うことはできないと感じました」

水泳の指導に限界を感じた中野氏は、もともと身体への関心が高かったこともあり、トレーナーを目指すことを決意し、米国・ロサンジェルスへ留学する。日本にはまだパーソナルトレーナーという言葉すらほとんど知られていない時代。まずは試しにと自身がパーソナルトレーナーをつけてみることにした。
「3ヶ月後、最初に伝えた理想通りの身体になったのです。とても感動しました。決めたことに対してきちんと結果を出す、パーソナルトレーナーという仕事はなんて格好いいのだろうと、本格的に勉強を始めました」

俳優養成学校にいた友人に仲間を紹介してもらい、無料でセッションを提供するなどし、中野氏は約2年間を米国で過ごす。

会費内でのサービス提供が主流参加費をとることに苦戦

日本に帰国した中野氏は再びフィットネスクラブで働き始め、早速パーソナルトレーニングのサービスを提案するも、