今後、健康産業は成長していくのだろうか。また、成長するために何が重要になるのだろうか。そして、前途有為な学生がそこで活躍するために何が求められるだろうか。本稿では、健康やスポーツ、フィットネスの教育者に、健康産業の可能性と学生が活躍するためにフィットネスクラブ運営企業がするべきことを訊く。第36回目は、龍⾕大学 経営学部 スポーツサイエンスコース 教授 長谷川裕氏。

  • 長谷川 裕
    龍⾕大学 経営学部 スポーツサイエンスコース 教授

トレーナーの教養は存在意義を危うくする

長谷川氏に、現在のフィットネス業界をどのように捉えているか訊ねると、将来性は確実にあり、そうならなければならないと言う。しかし、トレーナーのレベルが追いついていないと指摘し、好ましい姿ではないという。「SPORTECでは、健康問題やリハビリのためのソリューション、アスリートのパフォーマンス向上を目的とするトレーニングマシンやプログラム、サプリメントなど、様々なプロダクトが展示されています。その一部で、大音量で音楽を流したり、見た目だけで訴求したりしようとする世界観が見受けられ、異質に感じます」

かつてJATIの理事長を務めた長谷川氏。フィットネス業界の課題として、トレーナーに関連する資格の合格率を挙げる。

「専門学校で合格率が低くなっています。集中力がなく、試験中、椅子に座っていられないのです。そこには、S&C などの資格の名称の単なるかっこよさや、大学受験を避けたいがために専門学校に入学したという背景があるようです。そして、興味本位でフィットネスクラブに就職した学生が、将来的に『昼間のホスト・ホステス』の役割をつくり出してしまいます。さらに、現場では、運動プログラムの基礎知識がある人よりも、ルックスがよく、会員さまのご機嫌をとれるような接客が気に入られることがあります。レッグカールでレッグエクステンションをさせようとしている光景に出くわしたこともあるほど、トレーナーの知識不足は深刻なのです」

その結果、業界の品格に影響をおよぼす発表がされる。2022年4月には、国民生活センターによる注意喚起だ。「運動不足や生活習慣病の増加、医者からの指導をきっかけに運動を始めるにあたり、対価を払って専門的な指導を望む人もいるため、市場として伸びることは間違いありません。しかし、この注意喚起では、パーソナルトレーニングとして指導しているのに、クライアントの動作が具体的に見えていないのではないでしょうか」

トレーナーの教養は、知識・指導力のみでなく、コミュニケーションにも表れる。

「マシンエリアからプールが見えるフィットネスクラブがあり、トレーナーに『マシンもすいているので、サーキットウェイトトレーニングできますね』と話しかけたら、『ええ?』と言うので、『いやサーキットウェイト…』と言うと『ええ、先にウェイトトレーニングしていただければ』と言われたこともありました(苦笑)」

この原因として、長谷川氏は、フィットネスクラブでは、指導・サービスに対して問題がなかったか、もし問題があったならどのような問題だったのか検証されていないとし、次々に新しいプログラムを開発し、それを呼び水にして集客しようとしている傾向があるとしている。フィットネスクラブがどうあるべきか、さらには業界全体がどのような方向を目指すべきか、曖昧になっていると警鐘を鳴らす。

根本は、専門学校での教育

なぜ、既述のことが起こっているのだろうか。

「教育機関の講義などで、スポーツ医学やバイオメカニクスなどを教わり、卒業論文では動作分析や筋力測定、 HRや1RMの計測方法などを教わっても、フィットネスクラブでそのようなデータをとることはありません。とはいえ、やりっぱなしのトレーニングはいかがなものでしょうか。そのトレーニングが適切かどうかはデータを取らないとわかりません。例えば、デッドリフトのフォームを指導し、トレーナーが目で見てチェックはするものの、どれだけ力が出ているか、動作スピードが低下しているかは測れていないのではないでしょうか。最低でも、HR は計測するべきではないでしょうか。 運動効果を測るには、トレーニング前 後ではなく、トレーニング中のデータ を取らないと」

多くのフィットネスクラブでは、運動プログラムには種目と重量、回数とセット数などを含む。だが、発揮される筋力とウェイトの質量は別の概念だ。

「例えば、10kgのバーベルで運動する際、ゆっくり動かすのと素早く動かすのとでは発揮される筋力は異なります。ゆっくり動かすなら、小さい力発揮になります。『力(F)=質量(m) ×加速度(a)』ですから、同じ質量(m)でも早く動かすなら大きな加速度が必 要になります。つまり、発揮される筋 力(F)=ウェイト(m)×動きの加 速度(a)なので、同じ10kgのウェイトでも遅い動きなら小さい力(F)、早い動きなら強い力(F)となるのです。よって、加速度を測ることが大切と言えます」

データを取ることは、運動効果の最 大化に寄与するだけでない。万が一事故が起きた際、指導内容の証明にも役立つ。合わせて映像も撮影していれば、ドライブレコーダーと同じ役割を担う。

VBT は動作のスピードを測る

トレーナーの知識不足による問題 を解決するために、長谷川氏はVBT(Velocity Based Training)を挙げる。VBTは、1RMとのパーセンテージと直線的な関係にある動きのスピードに着目する。動作を反復しているとスピードが遅くなってくることを利用し て、危険でトレーニング効果につながらない動きを止める。測定は、小型機器をバーに装着するのみで可能だ。 怪我のリスクが減り、運動強度をコントロールしやすい。これまで、「重さが上がらなくなってからがトレーニングだ」と言われていた根性論を強い ることなく、最小の運動量で最大の効果を得られるのだ。

多くのトレーニングプログラムでは、1RMを計測し、目的に合わせた%RMから、レップ数を決めてきた。処方されたプログラムでも、いかに重いウェイトを扱うかを焦点とするケースも多い。このデメリットには、1RM の計測に怪我のリスクを伴うこと、計測日のコンディションにも左右されること、頻繁に計測できないこと、初心者には適さないことが挙げられる。

「あと10回!というシーンでも、残り数レップが不要になることもあります。レップ数をこなすことで達成感は得られるかもしれませんが、それはヘロヘロで走っているのと同じくらい無駄なことなのです。動作中の様子を数値として見ることで、気持ちの問題ではなく、力の問題だと判断することもできます。そもそも、メンタルの問題と指摘するトレーナーはメンタルに関わる数値を計測しているのでしょうか? 消費者も賢くなってきているのです。ファクトを提示しないトレーナーを信頼できるでしょうか」

長谷川氏は、最初はフォームを身につけたうえで、動きの早さ(なめらかさ)を追求することが前提と付言する。

トレーナーの存在意義は

「頭痛がするとき、医者からいきなり『脳出血しているため明日手術します』と言われたら心配になりますよね。必ず検査し、原因を特定してから診断します。そのために計測をし、データに基づいています。では、なぜトレーニングではそれをやらないのでしょうか。まずやるべきことは、原因を探ることなのです。トレーニングの一般論を基にして、トレーナーがその場その場で判断していることが問題です。専門学校や大学は、トレーニングを分析する方法を習得させるべきです。そのためには、就職後に現場で使えるような、データの取り方と読み方、方法を教える必要がありますが、それが1番欠けてしまっています。授業で扱うアイソキネティックマシンは現場にはありません。現場にあるのは、バーベルやダンベル、マシンなのです。そして、原因が見つかったら、改善のためのトレーニングの進捗をモニタリングし、どこまで達成したかをデータで追っていきます。それを知らないままトレーナーになり、コーチと呼ばれ天狗になってしまっては、『昼間のホスト・ホステス』ということになります。結果を知るだけでなく、方法を知るべきです」

長谷川氏は、フィットネス業界では、少しずつ計測の動きが出てきているという。今後、フィットネス業界はどのように在るべきだろうか。

「自社で採用したトレーナーに対する教育を強化すべきです。自社を守る意味でも、客観的なデータを取るための装置や器具を揃えて体制をつくることが必要になってくるでしょう。トレーナー任せの指導ではなく、1レップずつクラブとして把握し、それができるトレーナーを揃えていくことが、他社と比較したときの強みになります。もちろん、『昼間のホスト・ホステス』でいいと考え、タレント的要素のみで採用し、目新しいことを次々にやり、手を変え、品を変え、新店オープンやキャンペーンなどで集客しようとするなら話は別です。しかし、中身で勝負し、クライアントから信頼を得るためには、サイエンスを駆使してトレーニング内容をきちんと管理するべきです。フィットネス業界は、トレーニング内容の競争になり、そこにこだわる会社が儲からないと発展しません。そうすれば、日本に貢献できる健全な産業として、この業界はもっと伸びます」

トレーナー依存の肌感覚に頼る時代はもう終わる。フィットネスクラブはポジショニングをもう一段階堀り下げ、運動効果の出し方のプロセスで差別化を図るときにきている。