1960年代から始まった日本のフィットネス業界。その成長に貢献してきた業界の先駆者たちは、何を目指し、どのような想いでフィットネスビジネスに取り組んできたのだろうか。
ビジョンを実現するための取り組みや、その過程で経験した苦労、今後の展望などについてうかがう。第1回目は株式会社明治スポーツプラザ代表取締役、株式会社THINKフィットネス取締役などを務めた石渡元治氏。
—この新連載は若手経営者やクラブのマネージャーとして活躍する方へ、ヒントと勇気を与えられるような、先人のご経験や知見を共有させていただけたらと思い企画しました。
私がフィットネスビジネスに携わったのは1994年からです。先駆者と呼ぶのにふさわしい方はほかにいらっしゃると思いますが、せっかく声をかけていただいたので、私なりにフィットネス業界での経験や想いをお話しさせていただきます。
—ありがとうございます。まずはフィトネス業界に携わったきっかけを教えてください。
フィットネスとの関わりのスタートは、’71年にYMCAの会員になったときからです。中年になり不摂生と運動不足で健康の大切さを痛感したことがきっかけでした。フィットネスビジネスにおいては先駆者ではありませんが、ユーザーとしてはかなり早くから始めていました。
その後エグザスの会員となり、いずれこの事業に関わるだろうと予感し後学のため東京近辺にある店舗はほぼすべて利用していました。
ビジネスとしては、’94年に明治製菓の子会社である明治スポーツプラザの社長になったことが端緒です。思えば、40代以降は一貫して新規事業に携わってきて、ボウリング場・スケートリンクの複合施設の新会社設立(社長就任)・開業やザバスブランド商品を扱う事業部にも携わりました。フィットネスクラブ事業と近い業務を任されていたこともあっての会社からの任命かと思われます。
同社は開業して2年ほど赤字経営が続いていて、このままの状態が続けばつぶれてしまうだろう状況でした。
—フィットネスビジネスに関わるなかで、最も印象的だったのはどのような経験ですか。
ひとつは、赤字で親会社の明治製菓から閉鎖することを命じられていた新潟店の再建(詳細は本誌前身「クラブマネジメント」1997No.1参照)、もうひとつは川崎店の大成功です。
新潟店のV字回復では、私は親会社から出向の立場として、施設全般のリニューアルと運