大久保さんは、フィットネス業界から最初に政界に挑戦したファーストペンギン。20代は、競技エアロビクス(以下、エアロ)とメディアでの活動を両立し、30代で経営者となり、40代の今、政界に飛び込んだ。そのキャリアを追う。

20代、エアロビクスとメディア

大久保さんは、「ゆみ先生」「大久保ちゃん」と呼ばれる愛されキャラだ。小学生のころは、生まれ育った栃木県日光市でフィギュアスケートや剣道をしていた。高校生のとき、クラシックバレエの恩師に出会う。

その後、下宿先の叔母が防衛医大の総婦長だったことから人を元気にする仕事がしたいと思い、社会福祉系の資格取得を目指して埼玉の短大に進学。短大で、エアロにのめり込んだ。

短大を卒業後、インストラクターになるべく、住友不動産エスフォルタに総合職で入社した。「ノーチラス(現エスフォルタ)」での仕事に心を踊らせていたが、入社3日目での辞令に涙する。「住友不動産の企画営業や広告などの部門に配属されました。2日間、泣きました。やめようかと思いました」同期と仕事の差は生まれたが、「あのときがあったから今の私の土台がある」と語る。

フィットネスでは、エアロの先輩がNHKで体操のお兄さんを務めていた。憧れて次のオーディションを受けると、アシスタントに選ばれた。毎日のオンエアに、地元栃木の親族は沸いた。

その後、テレビ出演のレギュラーのオファーがかかる。フリーに転身した。

せきを切ったように民放大手からオファーがきた。地方テレビや雑誌、エクササイズモデルに振り付け、子ども番組の運動監修などが増え、活動内容をブログに残していると、民放大手のプロデューサーからコメントがあった。「アニメ『あたしンち』の体操をつくってください。森三中の歌で大久保さんも出演します」

知らず知らずのうちに話は決まっていた。忙しかったにも関わらずフィーは決して高額ではなかったが、インストラクター業と両立させた。

お金のなかった30代

メディアの仕事をこなしながら、産婦人科や小児科の病院での運動指導も手がけていた。子どもたちと接していると、心理的に不安定な子どもたちにも出会った。子どもの発達心理学に強い興味を抱いていた。そこで、メディアへの出演を控え、夜間大学へ社会人編入することを決意した。1人暮らしで入学金80万円は厳しかった。学生ローンを組み、入学準備をした。

同時期に、千葉県船橋市から団体の法人化の