現在、順調に運営をしている企業であっても、ここまでくる道のりでは様々なことがあっただろう。
どのような苦労や失敗を乗り越え、またどこに成功要因を見つけたのか。当業界のリーダーから、それぞれが学んだことについて披露していただく本連載。
第31回目は、オレンジセオリー・ジャパン株式会社 代表取締役会長 飯田 賢氏にお話を訊いた。
バブルで社内の雰囲気が一転
新規事業でフィットネス事業に着手
飯田氏は、新卒で野村不動産株式会社(以下、野村不動産)に入社し、社内ベンチャーとして「スポーツクラブ メガロス」を立ち上げた。
店舗を23 軒まで広げた後、独立して2009年にフィットネス事業の運営サポートなどを手がける株式会社REビジネス(以下、 REビジネス)を立ち上げ、’16年からは同事業に加えオレンジセオリー・ ジャパン株式会社の代表取締役社長(当時)として、オレンジセオリーフィットネスの日本導入を牽引し、国内14軒まで事業を拡げるなど、これまでに3つの新規事業を立ち上げている。
「新規事業は、最初の3年間は非常に辛い。“起業”という響きに格好いいイメージをもつ方もいるかもしれませんが、現実は全然違う。非常に忍耐力のいる、きつい作業です」
それでも3つもの事業を立ち上げられたのは、メガロス立ち上げの経験があったからだと飯田氏は述べる。しかし、入社時にはまさか自分がフィットネス事業を立ち上げることになるとは夢にも思っていなかったそうだ。
飯田氏が入社後に配属されたのは住宅開発部という、社内でも人気ベスト3に入る部署。自ら希望したわけではなく、人事面接では「どこでもいいけれど、会社のことがわかる部署に行きたい」とだけ伝えただけであったが、ただ華やかさに惹かれて希望するほかの新入社員と違うことを人事担当者も感じたのかもしれない。
しかし、人気部署に配属されたわずか2年後にバブルが崩壊。リストラや海外事業撤退、子会社売却などが続き、社内には暗い雰囲気が立ち込める。当時の副社長で後に社長となる中野淳一氏は、そのような雰囲気を変えようと、 社内で新規事業を公募し、発案者自身に担当させることを提案する。そこで仲間4人とともに飯田氏が提案したのがフィットネス事業であったが、バブル崩壊後はフィットネス業界も冬の時代。役員からは「何をいまさら」「新規事業でもない」と、大反対にあう。それでも最