現在順調に運営をしている企業であっても、ここまでくる道のりでは様々なことがあっただろう。どのような苦労や失敗を乗り越え、またどこに成功要因を見つけたのか。

当業界のリーダーらから、それぞれが学んだことについて披露していただく本連載。

第 37 回目は、株式会社WORKOUT の土屋耕平氏にお話を訊いた。

株式会社WORKOUT は2022年1月25日現在でパーソナルジム「REALWORKOUT」を60店舗展開している新進気鋭の企業だ。マーケティング領域にバックグラウンドをもつ代表取締役CEOの土屋耕平氏とトレーナーが手を取り合い、フランチャイズ形式で店舗数を拡大してきた。異色の経歴をもつ土屋氏だが、そこで得たすべての経験が現在の事業に見事につながっている。失敗から学び、それを活かして成功へと導いた一連のストーリーを、今回は独自取材をもとに書き綴っていく。

キャリアのスタートはミュージシャンから

話は2004年まで遡る。当時19歳だった土屋氏は、大学を中退し、音楽活動に専念することとなる。当時のよしもとR&C(現よしもとミュージック)と業務委託契約を締結し、バックバンドとしての演奏やアイドルグループの楽曲制作のサポートなどを行っていた。そこから約5年間、音楽活動を続けていた。

「リーマンショック後の2000年代後半はアーティスト不遇の時代と言われていました。今のように音楽ストリーミングサービス(SpotifyやAmazon Musicなど)が整ってもいなければ、CDも売れないという状況だったのです」

と土屋氏は当時を振り返る。

そこから、土屋氏は自身の手掛けた楽曲を多くの人に届けるためにはどうすればよいのかを考え、独学でインターネットマーケティングを開始する。

当初はバンド活動と並行していたが、インターネット広告を運用できる人材は当時としては稀有で、企業からの依頼が増加。そこで、音楽活動を行ってきた仲間とともにインターネットマーケティング会社を立ち上げる。それが2009年のことである。

引き継いだ会社で代表に就任 苦渋の決断で事業譲渡に至る

それから2年後、土屋氏はインターネット広告運用での実績を買われ、既存の雑誌媒体の出版会社に代表として招聘され、就任することとなる。

「当時のミッションとしては、インターネット化が遅れている広告会社を、社長となって復活させるというものでした」

と土屋氏は話す