現在順調に運営をしている企業であっても、ここまでくる道のりでは様々なことがあっただろう。どのような苦労や失敗を乗り越え、またどこに成功要因を見つけたのか。当業界のリーダーらから、それぞれが学んだことについて披露していただく本連載。今回は、株式会社R-bodyの鈴木 岳. 氏にお話を訊いた。  

鈴木 岳. 氏
株式会社R-body
代表取締役

 

アメリカと日本におけるトレーナーの地位の差を痛感

鈴木氏のトレーナー人生のスタートは、大学卒業後のアメリカ。1990年代の日本にはトレーナーの資格がなかったため、大学時代の先生の勧めで、世界的に知名度のあるATCを取得するため渡米した。

帰国後は、全日本スキー連盟専属トレーナーとなり、ソルトレイク、トリノ、バンクーバー、ソチオリンピックに帯同。2002年には里谷多英選手の銅メダル獲得に寄与した。

しかし、その頃の日本では、トレーナーという職業の地位は低く、報酬も不十分。日本でトレーナーとして仕事をしていくことは、今のままでは難しいと感じていたという。

「当時の日本では、トレーナーは『身体をほぐす人』だと勘違いされることもしばしばありました。国家資格を持って施術をしている方々にも失礼ですし、私自身も嫌な思いをしたのがすべてのスタートです。アメリカと同じように、日本でもトレーナーのプレゼンスを上げたいと思うようになりました」

プレゼンスを上げるにはチームづくりが重要

トレーナーのプレゼンスを高めたかったと熱く語る鈴木氏

「まずは、自分自身のトレーナーとしての腕を磨き、評価してもらえる人材にならないと」

鈴木氏はその一心で、自分の知識や技術を高めることにフォーカスした。

そのなか、地元のスポーツクラブで出会った会員の『肩が痛い』という一言を機に、痛みに対処するためのトレーニングが日本には浸透していないことに気づく。アメリカでは、すでに機能改善のためのトレーニング(コンディショニング)が存在しており、日本は一歩遅れを取っていたのだ。

そこで、まずはスポーツクラブにコンディショニングの重要性を提案しに行った。当時、学生アルバイトばかりだったフィットネスジムにアスレティックトレーナーが常駐するようになることで、病院との連携や、怪我後のリハビリのサポートも可能になることを伝えた。しかし、「言っていることがよくわからない」と、全く取り合ってもらえなかった。

こうした経験から、個人の知識や技術だけを上げても、業界に与えられる影響力が少ないことに気づいた鈴木氏。トレーナーのプレゼンスを上げるためには、チームを作ることがいかに大事かを痛感した。

コンディショニングを軸に創業
人材育成で試行錯誤する日々

2003年、チーム作りの必要性を感じた鈴木氏は、32歳で株式会社R-bodyを創業。運動する「ジム」ではなく、運動を学ぶ「学校」として、コンディショニングの専門家と一緒に、お客さま自身がカラダの課題を理解し、解決方法を習得することをコンセプトにしている。企業ビジョンは「『R-bodyする』を日常に」で、「コンディショニングを通じてカラダを再生し、ライフパフォーマンスを高める。誰にとってもそれが当たり前の世界」という、鈴木氏の想いが込められている。

起業後、最も苦労したことは、フィットネス事業の根幹となる「人材育成」だ。トレーナーという職人集団の意識を改革させるには、採用の段階で「チームがいかに大事か」を理解してもらう必要があった。

「僕がR-bodyを創ったときから決めていたことは『僕自身が最前線でお客さまにサービス提供をしないこと』。R-bodyの代表であり、社内で誰よりもキャリアがある僕がパーソナルトレーニングの予約枠を設定すれば、そこに予約が集中するのは当たり前のこと。サービスが属人的にならないように、僕がお客さまに直接対応することを極限まで少なくしました。最初のカラダの評価や見立ては僕がやったとしても、その後の日々のセッションに僕が付くことはありません」

そのため、R-bodyのどのトレーナーが教えても同質のサービスが提供できるよう、マニュアルやルール作りに力を入れていったという。「もともとR-bodyのサービスは、僕が1人でやっていたトレーナーサービスの知識や技術を棚卸しして、マニュアル化したものがベースになっています。ある程度トレーナーが育ったあとは、週1回のテクニカルミーティングで、僕やメンバーからの提案で、マニュアルを毎週のようにアップデートしていきました。提案は誰でもできる代わりに、自分だけができるものではなく、皆ができるようにマニュアルに落とし込み、共有することをルールにしました。このように、マニュアルという“型”を通して、トレーナー全体の技術精度を上げていきました」

しかし、トレーナーの人数が増え、1店舗から3店舗に拡大した2018年頃。鈴木氏は、サービスの質が下がっているように感じたという。そのときに、一度マニュアルを手放す決断に至る。

「昔は、僕が人から学んできたことや自分で経験したことを噛み砕いてマニュアル化していましたが、最近は良くも悪くも簡単に情報が手に入ります。僕がまとめていると、改善スピードが遅くなりますし、目的にたどり着くまでに想定されるいくつかの方法がどれも良いものなのであれば、全部採り入れたらいいと思い、一度自由にやらせてみることにしました」

様々な経験を経てたどり着いた「秩序のあるカオス」とは

R-bodyが掲げるミッションは、「人、街、国のライフパフォーマンスを押し上げる」である。このミッションの先にビジョンである「『R-bodyする』を日常に」が実現する。そして、ビジョン、ミッションの実現のためには、トレーナーのプレゼンスが高まることが重要であると鈴木氏は思っていた。しかし、チーム内でこのビジョン、ミッションの理解が薄れていたために、マニュアルを手放した瞬間、カオスを招くことになった。

「1つの山を登るためのルートは人それぞれ違っていい。ただ、どの山を目指すかは共通認識として持っておく必要があります。このときのR-bodyはまさに、目指すべきビジョン、ミッションの理解度が組織内でズレている状況。僕の考えが甘かったです」

ここから鈴木氏は、秩序を保つ部分と、多様性を出す部分を切り分け、「秩序のあるカオス」な空間を作り上げることに精を出している。今もなお最適な状態を作り上げている最中だが、秩序とカオスを両立させることの重要性に気づけたことが、R-bodyが再出発を切るきっかけになった。

顧客に伝わらなければ意味がない
創業して気づいた4つのR

鈴木氏は、アスリートだけではなく一般のお客さまも相手にするようになってから、「どんなに知識や技術があっても、サービスを受けているお客さまが『違う』と言ったら違う」ということに気づかされた。そこから導き出されたのが、R-bodyの行動指針である「4R」だ(図)。

図.R-body行動指針「4R」

「1つ目のRは『REAL』で、プロである限り、一生学び続け、ホンモノであり続けること。2つ目が『REACH』。知識や技術がいくら身に付いても、お客さまに伝える力がないと仕事になりません。3つ目が『RESULT』で、お客さまに価値が届いた結果、喜んでもらえること。最後が『このトレーナーと会うとやる気が出る』と思ってもらえるような関係を築く『RELATIONSHIPS』。お客さまとの信頼関係の構築は、カラダを変えることにつながる大きな一歩だと感じています」

トレーナーが直面する課題の多くは、知識や技術が問題なわけではない。4Rで言う「REACH」の不足が原因で、お客さまに価値が届いていないことが多いと言う。

「伝わるように伝えるためには『徹底的な顧客目線』が大切です。顧客目線と言っても、お客さまの要望にそのまま応えるわけではなく、『三歩先を見て、半歩先のことをする』。私自身も『不易流行』の『ぶれない軸を持つこと』と『時の流れに沿って自分を七変化させること』のバランスを大事にしています。そのバランス感覚がないと、いくら知識や技術があってもお客さまには伝わらない。相手に価値が伝わり、評価されて初めて、意味があります」

世界トップレベルのコンディショニングトレーニングへ

「日本におけるトレーナーのプレゼンスを上げたい」という思いが原動力となり、トレーナー一筋でキャリアを積んできた鈴木氏。R-bodyを創業して20年が経った今、日本におけるトレーナーの状況はどのように変化したのだろうか。

「若い頃はアメリカのようになればいいなと考えたこともありました。しかし、今はむしろコンディショニングという領域においては、日本が世界のトップだと思っています。日本人が海外から学ぶこともまだまだ多いですが、コンディショニングは僕らが教えられる領域だと自負しています」

鈴木氏の答えは、この数十年で、日本におけるトレーナーの地位が上がった結果とも言える。ますます変化が激しい時代において、自分が大事にしたい軸と、世の中に合わせて自分を七変化させる柔軟さを身に付けておくことが、さらなるトレーナーの存在感の向上に役立つだろう。