MY POLICY
凡事徹底。当たり前のことをていねいに。
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奥山和人氏ははこぐさ鍼灸治療室 代表/理学療法士・パーソナルトレーナー1981年秋田県生まれ。「姿勢と動作の専門家」として子育て世代のママ・パパのコンディショニングや、子どもの運動遊び指導など幅広く活動。トレーニングだけでなく、脳科学・心臓リハビリテーションといった豊富な医学的知識を活かした講座・セミナー開催、コラム執筆なども多数。プライベートでは3 児のパパとして子育てに奮闘中。
近年、ジェンダーレスやLGBTQ、または働き方改革など、いわゆる多様性に触れる機会も多くなり、様々な“モノ”や“コト”、あるいは“トキ”に対する考え方も以前とは大きく変化している。フィットネス業界も同じように多様性を求められる時代になってきており、一言にフィットネスと言っても様々な定義が存在するようになった。とは言え、人々の健康問題に直結するテーマを掲げている産業である以上、エンタメ的な根拠のはっきりしない促しで、ニーズを誘導してはいけないはずであり、昨今のフィットネス業界を取り巻く多様性と言う名の間口の広さには、ある意味危機感さえも覚える。そのような時代において今回のゲスト奥山和人氏は、理学療法士という医療従事者の立場から、愚直に人々のカラダとココロの健康を考え、日々忙しく活動を行っている。パーソナルトレーナーという顔も併せ持つ奥山氏だが、まずは理学療法士になるきっかけを伺ってみた。
「大学の文系学部を卒業後、医療とは無縁の業界に就職し数年間忙しく働いていたのですが、そこでの仕事は成果対象が大き過ぎたんですね。性格的に個人と向き合い、寄り添えるような仕事の方が向いているのではないかと感じるようになり、色々考えた結果、理学療法士を目指そうと思いました」
そう柔和な表情で答えてくれた奥山氏だが、横浜市内の某公立大学を卒業後に飛び込んだ業界はメディア業界であった。
「メディアと言っても色々ありますが、私が入職した業界はテレビ業界で、当時は今のようにインターネット全盛の時代ではなかったので、テレビ業界は勢いのある業界でした」
奥山氏が入社した会社は、民放キー局と言われる誰もが知り得るテレビ局であり、そこで番組のコンテンツ作りなどを中心に仕事をしていたという。
「様々な番組のコンテンツ作りなどに関わらせて頂き、月間100時間以上の残業など当たり前の世界でした」
入社当初からテレビ業界の荒波に揉まれながらも必死に食らいつき、それはそれで楽しかったというが、前述したように奥山氏の性格的に心から満たされる感覚にはなれず、退職後、理学療法士への第一歩を踏み出した。
「当時の政府は、高齢化社会に備えた医療の強化を掲げており、医療系の大学の設立や学部の増設が進められていて、設立して間もない公立の医療系大学への進学を決めました」
一般入試よりも遥かに倍率の高い社会人入試を選択し、狭き門を突破、そして入学が決まった。当時、既に20代中盤を迎えており、同級生の大半は18、19の子ども達であったが、皆、理学療法士になるという入学の目的がはっきりしていたため、違和感なく二度目の大学生活を送れたという。また、想像していた以上に学ぶべき領域が広かったことも、奥山氏のさらなる興味を引き出したという。そして、4年間の精進の結果、晴れて理学療法士の国家資格にも合格、第二の人生が幕を開けた。
「大学で勉強する中で、理学療法士としての経験を積むためには、様々な症例を経験することができる総合病院からキャリアをスタートさせたいと思い、都内の総合病院に勤務させて頂くことになりました」
スポーツやフィットネスを行っている人間からすると、理学療法士の仕事は整形外科的な症状に対するリハビリ指導というイメージが強いが、この病院で奥山氏が担当した患者さんの症例は多岐に及んだ。
「整形外科はもちろん、脳神経系、循環器系、またはがん患者に至るまで、本当に様々な患者さんのリハビリに携わらせて頂きました。患者さんによって症状が違うため、リハビリの内容も時間も全て異なります。特にICU(集中治療室)で人工呼吸器を付けている方に対するリハビリは、様々なリスクを想定しなければいけないので緊張感がありました。また、がんに対する化学療法で何度も入退院を繰り返している患者さんとは、共に過ごす時間が長くなる分思い入れが深くなりました」
総合病院でしか経験出来ない、多くの症例に触れたことが今の基盤にあると話す奥山氏。時にはリハビリを拒絶し罵詈雑言を浴びせる患者さんも少なくなかったという。
「理学療法士のミッションは、とにかく患者さんのパフォーマンスを上げて社会復帰させることなので、何を言われようが目の前の患者に寄り添い、絶対的使命を遂行することだけを考えていました」
そして、この病院で10年目を迎えようとしていた頃、奥山氏の中で新たな思いが芽生えてくる。キャリアも長くなり、中間管理職的な業務など、それまでのような患者と向き合う時間を十分にとる事ができなくなってきたため、独立することを決めた。
初志貫徹を実行に移した形ではあるが、総合病院という安定した職場から飛び出して独立するというハードルは、高いものであったはずだ。
「実は妻も医療従事者で、看護師、助産師、鍼灸師の国家資格所有者ということもあり、二人で産前産後の女性のケアをメインにした、“ははこぐさ鍼灸治療室”を開業しました」
この治療室では産前産後のケア以外にも、子どもを対象にした運動講座も定期的に実施し、幼児期における運動の重要性も説いている。また、自治体や企業からの依頼で、高齢者の介護予防事業にも積極的に取り組んでいる。多岐に及ぶ経験を経て、今年で理学療法士歴は13年目、1万人以上の患者を診てきた奥山氏に、運動療法を行う際に留意していることは何か聞いてみた。
「とにかくコミュニケーションです。数分の会話で患者がやる気になるよう、相手の気持ちを出来る限り汲み取ることを心がけています」
奥山氏の指導現場を拝見する機会があったが、物腰が柔らかく常に笑顔で対象者の目線で応対する姿がとても印象的であった。
最後に、医療従事者としての視点で見たフィットネス業界への意見を聞いてみた。
「より多くの方に運動を行ってもらうことで、健康な世の中を作ろうとする思いは私も一緒ですが、誇大広告ともとれるコピーや、個別性や目的、効果の裏付けが希薄な運動提供が気になります。運動の継続には娯楽性も大切ですが、安全性と効果性を追求することを絶対に忘れてはいけないと思います」
フィットネス関連従事者も、より深いメディカル面のインプットが急務であることを考えさせられたと共に、奥山氏のような医療従事者の方々が、フィットネス業界でもっと活躍してほしいと感じた取材であった。